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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)8485号 判決

原告 杉山花子

〈ほか三名〉

右四名訴訟代理人弁護士 錦徹

被告 財団法人聖路加国際病院

右代表者理事 福島慎太郎

右訴訟代理人弁護士 大政満

同 石川幸佑

同 大政徹太郎

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

〔請求の趣旨〕

一  被告は、原告杉山花子(以下「原告花子」という。)に対し、金一九九四万五四九六円、その余の原告らに対し、各金一三九六万三六六四円及び右各金員に対する昭和五〇年一月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行宣言

〔請求の趣旨に対する答弁〕

主文同旨

第二当事者の主張

〔請求原因〕

一  被告は、聖路加国際病院の各称の下に病院(以下「被告の病院」という。)を開設する財団法人であり、原告花子は、被告の病院において昭和五〇年一月一六日に死亡した杉山茂の妻、その余の原告らはいずれも茂の子である。

二  茂と被告は、昭和四九年一二月三一日、被告の病院において、茂が罹患した心筋梗塞の治療をすることを目的とする診療契約を締結した。

三1  茂は、右同日夜、胸部に苦痛を訴え、掛かりつけの医師の診察を受けた後、救急車で被告の病院に搬入された。同病院の当直医師松野一彦は茂の疾患を心筋梗塞と診断したが、その際の状態は死亡率が二二ないし三〇パーセントと予想される極めて重篤なものであり、しかも、当初は心臓の後側壁部分の心筋梗塞と診断されていたものが入院後進行して梗塞は前中隔壁部分にも及んだ。

2  そのため、右入院時から茂は、循環機能のモニター装置及び心蘇生設備等を備え、特別に訓練された医師、看護婦等のスタッフが常駐するコロナリー・ケア・ユニット(以下「CCU」という。)に収容され、治療を受けていたものであるが、茂が右1の重篤な症状にあること及び心筋梗塞は短期間に再発の危険がある疾患であることに照らし、CCUにおける治療及び看護をさらに継続する必要があったにもかかわらず、被告の病院の主治医五十嵐正男医師らは、軽卒にも症状が好転し、CCUでの緊密な監視を継続する必要がないものと判断して昭和五〇年一月六日に茂をCCUから一般病室に転室させる措置をとった。

3  茂は、右の結果、右同日から一般病室において治療を受けることとなったが、一般に心筋梗塞発病後第二週目の患者が心筋梗塞の再発又は致死性不整脈に襲われ、その結果死亡する際には、必ずしもその予兆としての前駆症状を伴うとは限らず、全く突然に右の再発又は致死性不整脈に襲われることがままあるものであり、また、本件において茂は同月一二日に頸部の硬直感を、同月一三日に胸部の鈍重感を訴えたものであることから、被告の病院の五十嵐主治医及び担当医師土居義典は茂が心筋梗塞の再発又は致死性不整脈に襲われ死亡する危険性のあることを十分に予測しえたのであるから、これを回避するため前記CCUにおける治療・看護を継続するほか、後記(一)ないし(四)記載の措置をとるべきであったのにこれを怠り、茂をして同月一六日未明ころ、心筋梗塞の再発又は致死性不整脈により、看取る者もなく死亡するに至らしめた。

(一) 被告の病院の担当医師は、茂の右1並びに同月一二日及び同月一三日の右各症状に照らし、毎日一回以上は心電図の検査を行うべきであり、また、右担当医師は近く茂を退院させることを予定していたものであるから、院内歩行等の秩序ある訓練を施してそれらの労作負荷後の心電図の検査を行うべきであり、右各検査を施行すれば茂の心筋梗塞の進行を把握することにより、右の茂の死亡を回避できたにもかかわらず、右通常の心電図検査は同月一三日に行ったのが最後であり、右労作負荷後の心電図検査は全く行わなかった。

(二) 一般に心筋梗塞の患者に対しては看護婦の十分な巡回点検やテレメーターなどの監視装置により十分に看護、監視する必要があるにもかかわらず、被告の病院にはテレメーターなどは何ら設置されておらず、また深夜における巡回点検体制は看護婦一名が二時間おきに巡回するだけという極めて不十分なものであった。

(三) 一般に心筋梗塞は、冠動脈像を撮影することによりその状況を直接視覚的に把握できるものであり、特に退院の見通しを立てるためには右撮影により病状を確実に把握することが必要であるにもかかわらず、被告の病院の担当医師は茂に対して右撮影をせず、また、その検討さえもしなかった。

(四) 被告の病院の担当医師は、茂を大部屋に収容するか又は家族の付添を指示することにより、茂の前記突然の症状変化に対応することが可能であったにもかかわらず、茂を一般病室としての個室に収容し、家族の付添も指示しなかったものである。

四  被告は、病院の管理運営に際し、心筋梗塞患者の突然死を避けるため、前記三3(二)記載のテレメーターを病院内に設置し、かつ、同(四)記載の個室への収容を避けて患者に対する監視体制を十分にするなどの注意義務があったのに、これを怠り、茂をして、その死亡が発見されるまで数時間を経過するような結果を惹起せしめた。

五1  逸失利益

(一) 茂は生前青果卸売業を営んでおり、昭和四八年一〇月一日から昭和四九年九月三〇日までの一年間に合計九八〇万円の収入を得たものであるが、そのうち、右卸売業の営業を妻の原告花子及び長男の原告杉山勝利が手伝っていたことによる寄与分は二八〇万円と見込まれるので、茂の右営業による収入は年間七〇〇万円となる。

(二) 茂は右死亡時五一歳であったものであり、存命していればそれ以降六七歳までの一六年間稼働可能であり、茂の生活費として収入からその三分の一を控除したうえ、年別ホフマン方式によって茂の逸失利益の現価を算出すると次のとおり五三八三万六四九〇円となる(ただし、一六年間の年別ホフマン係数は一一・五三六三九〇七九である。)。

7,000,000(円)×(1-1/3)×11.53639079=53,836,490(円)

(三) 茂の右死亡により、原告らはその相続人として茂の債権債務を承継したものであり、茂の右逸失利益現価は、原告花子がその妻として三分の一に相当する一七九四万五四九六円を、その余の原告らがその子としていずれも九分の二に相当する一一九六万三六六四円をそれぞれ承継したものである。

2  慰謝料

一家の支柱である茂の死亡による原告らの悲しみは筆舌に尽し難いものであり、特に、茂は死に臨んで何らの手当も施されず、誰も看取る者のいなかったことは原告らの心痛を倍加するものである。このような原告らの精神的苦痛を金銭をもって慰謝するのに要する金額は、原告らについて各二〇〇万円を下らないものというべきである。

よって、原告らは、被告に対し、主位的には診療契約の債務不履行に基づき、予備的には民法七一五条一項又は同法七〇九条の不法行為に基づき、損害金として原告花子については一九九四万五四九六円、その余の原告らについてはそれぞれ一三九六万三六六四円及び右各金員に対する茂の死亡の日の翌日である昭和五〇年一月一七日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

〔請求原因に対する認否〕

一  請求原因一の事実は認め、同二の事実は否認する。

二  同三のうち、1の事実中、茂が昭和四九年一二月三一日夜、胸部に苦痛を訴えて掛かりつけの医師の診察を受けたことは不知、茂の被告の病院への入院時の状態の死亡率が二二ないし三〇パーセントであったことは否認するが、その余は認める。

2のうち、茂の症状が昭和五〇年一月六日以降もCCUでの治療及び看護を必要とする状態にあったことは否認するが、その余は認める。

3については冒頭部分のうち、茂が同月六日から一般病室において治療を受けることになったこと及び同月一二日に頸部の硬直感を、同月一三日に胸部の鈍重感を訴えたこと、同月一六日未明ころ、心筋梗塞の再発又は致死性不整脈により死亡したことは認めるが、その余の事実は否認し、その主張は争う。(一)のうち、被告の病院の担当医師が茂に対して心電図検査を行ったのは同月一三日が最後であること及び労作負荷後の心電図検査を行わなかったことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。(二)のうち、被告病院にテレメーターが設置されていなかったことは認めるが、主張は争う。(三)及び(四)の主張は争う。

三  同四の事実中、被告の病院に当時テレメーターが配備されていなかったこと及び茂が個室に収容されたことは認めるが、その余の事実及び主張は争う。

四  同五の事実はいずれも不知、主張は争う。

〔被告の主張〕

一  以下の事情の認められる本件における茂の死亡は、被告の病院の担当医師及び看護婦にとって予見可能性及び回避可能性のないものであった。

1 一般に、急性心筋梗塞症は死亡率が高く、死亡が予告なしに急に発生する疾患であり、病院の専門病棟内で専門の医師が治療に当たっていても死亡率は二〇ないし三〇パーセントに及ぶものである。特に、その致死的合併症である致死的不整脈(心停止)が発生した場合には三分以内に処置を施さないと死亡は回避できない。また、右の心停止発作は心筋梗塞発症後二日を経過すれば、その発生の可能性が非常に低くなり、右発症後一週間を過ぎて右発作が発生するのは心筋梗塞発作の再発によるものであるが、この再発の頻度は多くなく、それを予測することは通常困難である。

2 茂は、昭和五〇年一月一日午前零時四〇分ころ、前日から両頸部が締めつけられるような不快感が継続して強まっているとの主訴で被告の病院に入院し、被告の病院の担当医師は心筋梗塞症と診断し、即時に茂をCCUに収容した。その後、CCUでの治療及び看護の結果、同月六日には、胸痛の訴えはなく、それまでに認められた心臓の奔馬調律(心臓が衰弱したときに生ずる異常な心音)及び肺の聴心上湿性ラ音(肺の鬱血又は炎症の際に発生するラッセル音)も消失して茂の状態は非常によく、症状の快復も満足すべき状態と認められ、本人の希望もあったので、右担当医師は、茂を右CCUから一般病室(三〇九号室)に転室することとし、茂に室内での歩行を許可した。その後、同病室での治療及び看護の結果、同月一三日から同月一五日ころには心臓の後壁及び側壁に認められた心筋梗塞の病変は安定した病状を示し、茂の心筋梗塞症は順調に回復していた。そして、同月一六日、看護婦の午前四時二〇分ころの巡回点検の際には何の異常もなかったところ、次の巡回点検の際に看護婦が心停止の状態にある茂を発見したものである。

二  被告の病院における診療には、原告らの主張する診療上の過誤はなかった。

1 CCUからの転室について

一般に、心筋梗塞症は右一1において述べたとおり発症後二日以内が最も危険な状態であり、その後は危険性が減少するので、日本においては発症から四日目にCCUから一般病室への転室を行う取扱いとなっている。また、この転室の際には、患者にそれ以前の二四時間重度の不整脈、心不全が発生しなかったこと並びに患者から胸痛の訴がないことなどが必要であるとされているところ、茂は同月六日にはCCUへの入室から六日間を経過し、しかも、不整脈、心不全及び胸痛は発生せず症状は快復の方向に向っていたものであり、これらの点を踏まえて茂をCCUから一般病室へ転室させた被告の病院の担当医師の措置には何ら責められるべき点はない。

2 一般病室における監視及び看護について

被告の病院の担当医師及び看護婦は、茂が一般病室に転室してから茂の症状を把握しながら適切な診察及び治療を行っていたものであり、この間の監視及び看護について責められるべき点はない。

(一) 心電図検査について

(1) 一般に、心電図検査はCCUからの転室後は毎日実施するべきものとはされておらず、通常は一週間に一回程度実施し、かつ、患者が胸痛を訴え、又は、不整脈の症状が認められる場合にその都度実施する取扱となっているところ、本件においては担当医師は月曜日及び木曜日に心電図検査を行うこととして、これを実施しており、また、この間、茂には胸痛及び不整脈の訴えはなく特別に同検査を行う必要は生じなかった。なお、心電図検査の実施によって心筋梗塞の再発を予知することができるものではなく、原告らの主張はこの点においても失当である。

(2) 茂は同月一三日に前胸部に異和感を訴えたものであるが、被告の病院の担当医師は同日、心電図検査を実施している。なお、茂の右異和感は心筋梗塞患者にしばしば見られる症状であり、激しい痛みを訴える胸痛とは異なるものである。

(3) 通常、心筋梗塞症による入院患者の退院は入院後三週間が目安とされ、また、それは医師が全体的な症状及び検査等を考慮して決定するものであって、本件においては茂の退院の日時を確定するには至っていなかった。そして、労作負荷を実施する時期の判断は大変微妙であり、早すぎると心筋梗塞症の再発の虞があるので、被告病院の担当医師は、茂に病室内の歩行だけを許可していたものであり、同医師が労作負荷後の心電図検査を実施しなかったことは何ら責められるべきものではない。

(二) テレメーターについて

テレメーターは、昭和五〇年一月当時、CCUから転室後の患者の心電図監視法として一般的に普及していたものではなく、日本においては昭和五一年九月から東京女子医科大学付属病院において特に必要とする患者に対して用いられているにすぎず、それ以外は代表的な大学付属病院においてすら設置されていない。テレメーターを設置する場合は、これを昼夜監視するスタッフ(患者五人に対し一日当り三人の医師及び一五人の看護婦)が必要であり、その人件費は健康保険請求額だけでも一日約七万二〇〇〇円に上る。したがって、発症後相当期間を経過した患者に対してテレメーターによる監視を続けることは、重症の不整脈や心不全が継続している一部の症例を除き、必要性はないものとして行われていない。このことは、心筋梗塞症の発生数が日本の一〇倍に匹敵するアメリカ合衆国においても同様である。

(三) 冠動脈造影について

冠動脈造影とは、冠動脈に管を通し造影剤を注入してこれを撮影するものであるが、心筋梗塞発症後一か月以内に右処置を施すと冠動脈の酸素欠乏等により心筋梗塞症の再発をはじめとする重篤な合併症を惹起する虞れがあり、原告らの主張するような心筋梗塞発症後間もない時期における冠動脈造影は、絶望的なショック状態が発生した場合等の例外を除き、通常行われていない。

〔被告の主張に対する原告の認否〕

一 被告の主張一のうち、1の事実は否認する。2の事実のうち、茂が被告主張のとおりの主訴で被告の病院に入院し、即時にCCUに収容されたこと(ただし、その日時は昭和四九年一二月三一日夜である。)及び被告の病院の担当医師が昭和五〇年一月六日に茂をCCUから一般病室へ転出させたことは認めるが、その余は否認する。

二 同二のうち、1の事実は否認し、主張は争う。2については、冒頭の主張は争う。(一)中、(1)の事実は否認する。(2)の事実中、被告の病院の担当医師が同月一三日に茂の心電図検査を行ったことは認めるが、その余は否認する。(3)の事実は否認し、主張は争う。(二)の事実は知らない。(三)の事実は否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因一の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、まず茂の症状及び被告の病院における診療の経過について判断する。

《証拠省略》を総合すると、茂の症状及び被告の病院における診療の経過は次のとおりであったものと認められ、以下の認定に反する特段の証拠はない。

1  茂(大正一二年九月五日生)は、昭和四六、七年ころから高血圧症を指摘されて降圧剤の投与を受けていたが、昭和四九年一一月末ころに一回及び同年一二月二〇日ころからは毎日、頸部の両側に締めつけられるような不快感を感じるようになり、同月三一日には午後四時ころに感じた右不快感が午後一〇時ころに再び現われ、その後間もなく、前胸部痛を感じるようになった。

2  そこで、茂は掛かりつけの青木医師に往診を依頼し、同医師に鎮痛剤の投与を受けるとともに入院の措置をとることとなり、昭和五〇年一月一日午前零時四〇分に被告の病院が救急車で搬入された茂の入院を受け入れ、ここに茂と被告との間に被告の病院において茂の右症状を治療することを目的とする診療契約が成立した(右の茂が被告の病院に入院した事実は当事者間に争いがない。)。

3  右入院時に被告の病院で当直をしていた松野一彦医師は、茂の右の症状から急性心筋梗塞症が疑われたため、直ちに被告の病院内のCCUに茂を収容した。その時の茂の症状は左前胸部痛及び頸部不快感、四肢の軽度の冷感を訴えていたが、冷汗はなく意識も明瞭であった。松野医師は抗不整脈剤であるキシロカインの点滴注射及び静脈注射、鎮痛剤のモルヒネ及び心不全の予防のための強心剤であるジゴキシンの静脈注射並びに心電図及び胸部レントゲン撮影その他の諸検査を指示、実施した。心電図検査の結果、心臓の後側壁の一部に心筋梗塞が認められ、心拍はR on T型の心室性期外収縮が多発し、致死的不整脈である心室細動ないし心停止に移行しやすい危険な状態であり、後に判定された入院時の全般的な症状から推測される茂の予後は死亡率が一五ないし三〇パーセント(予後指数一五)と予想されるものであった。その後、右投薬等の処置の結果、同日午前六時ころには脈拍が落ち着き、不整脈も消失して、午前八時二〇分ころには、胸痛も訴えなくなるなど茂の症状は小康を得るに至った。

4  同日午後一時ころに至り、茂は再び前胸部に強い痛みと左前腹部に鈍重感を訴え、心電図で心臓の後側壁の心筋梗塞の進行及び前中隔壁の新たな強い虚血症状が現れ、二度目の心筋梗塞症の発作が生じたことが認められ、心室細動の前駆症状ともいうべき心房性期外収縮も現れるようになった。そのため、担当医師はモルヒネ、血管拡張剤としてのニトログリセリン、利尿剤であるラシックス及び血栓溶解剤のウロキナーゼを点滴又は静脈注射した。その結果、同日夕刻ころには胸痛はなくなり、心臓の心室性又は心房性の期外収縮も一過性のものを除いて認められなくなり、茂の症状は再び小康を回復するに至った(右の茂の心筋梗塞が当初は心臓の後側壁に認められていたがその後それが前中隔壁部分に及んだことは当事者間に争いがない。)。

5  同月二日には、処置としてはジゴキシン等の投与等が行われたがキシロカインの投与は中止された。茂の症状は胸痛及び心臓の期外収縮は認められなくなり、一日を通して同月一日夕刻以降の小康状態を保っていた。

6  同月三日には、担当の土居医師が茂に対してジゴキシン、ウロキナーゼ、冠状動脈の冠拡張剤のニトロール、精神安定剤及び睡眠剤の投薬並びにCCUでの持続的な心電図の他にCCUにいる間は毎日一二誘導の心電図検査を指示、実施した。茂の症状は、心臓の後側壁梗塞は改善しているが、前中隔壁の障害の所見は進行している疑いがあり、心不全が軽度存在するというものであったが、心室性期外収縮その他の不整脈は消失し、胸痛の訴えはなく、全体としては良好な方向を維持していた。

7  同月四日には、前日同様の投薬及び検査が行われたほか、前日までの絶対安静の指示が解除されてベッドの上では起き上がって自由にしてよいとの指示がされた。症状については全体として良好な経過を辿っており、心室性及び心房性の期外収縮はなく、心不全は軽度で、心電図で認められる心筋梗塞の症状も前日と同様であるというものであった。

8  同月五日にも、前日同様の投薬及び検査が行われ、症状も不整脈が認められず、前日同様の良好な状態であった。

6 同月六日、処置及び症状は前日と同様であり、心電図等の検査に昭和四九年一二月三一日及び昭和五〇年一月一日の心筋梗塞症の発作の影響が見られはするものの、茂の症状は良好な経過を維持していたので、主治医の五十嵐正男医師及び担当の土居義典医師は昭和四九年一二月三一日の心筋梗塞の発症から五日間を経過していること、昭和五〇年一月二日から不整脈及び胸痛が発生していないこと並びに血清酵素活性検査結果等の推移も心筋梗塞症の順調な改善を示していたことなどから、これ以上CCUでの治療及び看護を継続する必要はないものと判断し、右同月六日午後三時四〇分に茂を一般病室の三〇九号室へ転室させる措置をとった。右三〇九号室はいわゆる個室であったが、それは原告花子等の希望によるものであった。茂は同室での室内歩行を許可されたが、その後も特段の症状を示すことなく右同様の経過であった(右の担当医師が茂をCCUから一般病室へ転室させた事実は当事者間に争いがない。)。

10  同月七日、前日と同様の処置が行われ、心電図検査の結果によっても前日に比し新しい変化はなく、血清酵素活性値は前日より減少し、不整脈はなく胸痛の訴えもなかった。

11  同月八日、処置は前日と同様であり、心電図検査の結果、後側壁梗塞の治癒過程並びに前中隔壁の傷害の回復過程にあることが認められ、血清酵素活性値は減少傾向を維持し、不整脈はなく胸痛もなく、昼間にはベッドの上で書類の整理をしたりテレビを見たりして過していた。

12  同月九日、前日同様の処置が行われ、心電図及び血清酵素活性値の検査の結果により前日同様の回復過程が認められ、不整脈はなく胸痛もなく、また、担当医師によりジゴキシン、ニトロール等の投薬を七日間行うこと並びに心電図及び血清酵素活性値等の心筋梗塞症に対する諸検査は毎週月曜日及び木曜日に行うことが指示された。

13  同月一〇日及び一一日には右の指示された投薬が行われたが、不整脈はなく胸痛の訴えはなく、室内歩行をした後も異常は認められず、一一日の夜には退屈してテレビでボクシングを見たりしていた。

14  同月一二日には、前日同様の処置が行われ、不整脈はなく胸痛の訴えはなかったが、昼間に頸部の軽度の硬直感が持続し、また、同月一二日夕刻に胸部の鈍重感が一回あったことが同月一三日朝判明したが、担当の医師及び看護婦は右両症状を心筋梗塞症の影響ないしは悪化の兆候とは認めず、それに対して特段の処置は施さなかった(右事実中、茂が頸部に硬直感を、胸部に鈍重感を生じたことは当事者間に争いがない。)。

15  同月一三日には、前日同様の処置の他に、右12の指示のとおり心電図検査が行われた(この心電図検査の事実は当事者間に争いがない。)が、それによると同月九日の同検査に比して特に変化はなく心臓の後側壁の心筋梗塞の安定した所見を示しており、引き続き後側壁梗塞の治癒過程並びに前中隔壁の傷害の回復過程にあることが認められ、血清酵素活性値も同月九日よりも更に減少し、茂は胸痛を訴えることもなく、夕刻以降廊下に出たり、病室内でもほとんど臥床せず大きな音でテレビを見たりしていた。

16  同月一四日及び一五日には、前々日同様の処置が行われ、脈拍及び心拍は正常であり、胸部の訴えもなかった。右両日には、心電図検査は行われていないし、また一般病室における治療期間中に労作負荷後の心電図検査は行われていない(これらの事実は当事者間に争いがない。)。

17  同月一六日午前零時から午前八時までの担当看護婦は八木(現在の姓岡本)かづこ看護婦であったが、被告の病院においては夜間の看護婦の担当は午後四時から午後一二時まで(準夜勤)と午前零時から午前八時まで(深夜勤)の二つの時間帯に区分され、茂の収容されていた三〇九号室を含む病棟ではそれぞれの時間帯を二名ずつの看護婦が受け持っており、八木看護婦は個室を九室と八人部屋一室を担当しており、患者に対する巡視は準夜勤の担当看護婦との引き継ぎを行った直後に一回とその後二時間間隔で午前二時過ぎ、午前四時過ぎ及び午前六時過ぎに行うこととされていた。なお、被告の病院においてはいわゆる完全看護体制をとっており、定められた面会時間以外の夜間等については家族等の付添は認められていなかった。

18  八木看護婦が右同日午前二時三〇分から三時までの間に茂を巡視した際には茂は睡眠中であり、午前四時二〇分の巡視時には布団が茂の肩まで掛っておらず足の方へまくられていたため、同看護婦が布団を肩まで掛け直してやったが、茂はぐっすり眠っているようで目を覚まさなかった。午前六時二〇分の巡視の際に右看護婦は茂の呼吸が停止しているのを発見し、当直医の松野医師に連絡し、同医師は、茂の心臓が停止していたため、心臓マッサージ、アドレナリンの心腔内投与等の蘇生術を施したが、効果なく、午前六時五五分に死亡宣告をした。その際の茂の状態は、上肢及び顔面には冷感があったが、苦しんだ様子は認められず、躯幹及び下肢は温かかった。その後、茂の遺体は原告らの承諾の下に解剖検査に付されたが、茂は同日午前四時二〇分から午前六時二〇分の間に心筋梗塞症の再発又は致死的不整脈の発生が原因で死亡するに至ったものと推測された(右の事実中、茂が同日未明ころ心筋梗塞症の再発又は致死的不整脈の発生により死亡したことは当事者間に争いがない。)。

19  当時被告の病院にはテレメーターは設置されておらず、茂が一般病室に転室した後は、その治療期間を通じ、テレメーターの心電図検査による病状の監視は行われなかったが、当時我国においては一部特殊な施設を除き、一般病室にはテレメーターは設置されていなかったし、右特殊な施設においても狭心症や不整脈の頻発が認められる特殊な場合に限り使用されていたに過ぎない(右事実のうち被告の病院にはテレメーターが設置されておらず、茂に対しこれによる病状監視が行われなかったことは、当事者間に争いがない。)。

また、冠動脈造影検査といって動脈から細い管を心臓を通して冠動脈まで差し込み、造影剤を注入して冠動脈の状態を撮影する検査方法があるが、右検査は心筋梗塞症の患者がショック症状等を呈した極めて危険な状態で他に採るべき手段のない場合に外科的手術の施行を前提にして行われるものであって、右検査を行うことによる患者の生命への危険も相当大きいものであり、被告の病院の担当医師は、茂に対し右検査を行っていない(右検査を行っていない事実は、当事者間に争いがない。)。

三  心筋梗塞症の一般的な病状及び治療について

《証拠省略》を総合すると、心筋梗塞症の一般的な病状及び治療について次のとおりの事実を認めることができ、以下の認定に反する証拠はない。

1  心筋梗塞症の一般的病状について

(一)  心筋梗塞症の発生機序

心臓における心筋の収縮に必要な酸素及びエネルギー源を供給している冠動脈が動脈硬化により狭窄を生じると、運動時に心筋の仕事量が増大して酸素需要が増大するときに、それに応じて冠動脈が拡張して冠血流量を十分に増加させることが不可能になってくる。心筋の中でも特に仕事量の多い左心室筋は酸素不足の状態に陥り、嫌気性酸化を行って乳酸等の有機酸の発生が増加し、これが心臓の知覚神経を刺激して脊髄での神経連絡を通して特有の胸痛発作を主症状とする狭心症を惹起する。また、冠動脈が完全か又はそれに近く閉塞すると、その支配領域の心筋が急激に壊死に陥るが、これが心筋梗塞症であり、極めて死亡率の高い危険な疾患である。

(二)  心筋梗塞症の病状の経過

急性心筋梗塞の病状の経過は症例によって全く異なり、一般的な表現をすることは困難であるが、大まかに区分すると、(1)発作直後、(2)急性期、(3)回復期、(4)社会復帰期の四段階に分けて考えることができる。

(1) 発作直後から一、二時間以内

心筋梗塞の発症は、例外的な場合を除いて、大部分は死の恐怖を伴う激しい胸痛で始まり、この発症から一、二時間以内は痛みの他に急死が非常に多いという特徴があるが、この急死の多くは心室性期外収縮が多発し、心室細動を誘発したことによると考えられている。この他に心筋内の迷走神経末端が虚血のために刺激されたり、痛みの反射等から異常に強い迷走神経緊張が起き、そのため血圧低下、徐脈、悪心、気管支痙攣等による呼吸困難が起きたりする。これらの諸症状は特に後下壁心筋梗塞に多い。この時期は入院前の状況にあたり、症状が一番劇的で、しかも急死の多い危険な時期であって、心筋梗塞による死亡の五〇ないし六〇パーセントがこの時期に起きる。また、五〇ないし六〇パーセントの発症例において、発症後一時間以内に病院に収容される前に死亡するといわれている。

(2) 急性期

厳密にいえば発症直後からこの時期に含まれるものであるが、発症後約一週間までの期間に当たる。右(1)の時期とこの急性期とで、心筋梗塞による死亡の約八〇パーセントが起きるが、急性期に入った患者は、そもそも、既に非常に危険な時期を脱した予後の良いグループに入っていることになる。この時期の初期では患者は苦痛を訴えたり、重症な不整脈を発したり、心不全やショックを起こしたりする可能性があるが、後半になると大部分の患者は苦痛もなく、静かにベッドに横になっているだけである。ただ、時折後半にも再発を繰り返し、胸痛を訴える例があるが、このような例は病変が拡大していることを意味し予後が悪い。急性期には特有な心電図所見や血液化学、酵素値の変化が見られる。この時期における死因は重症不整脈による急死、心不全又はショックによる。急性期における死亡の約三分の一は入院後一二時間以内、約二分の一は入院二日目までに起こり、以後時間の経過とともに死亡率は急速に低下し、入院第二週目及び第三週目における死亡率は一日当たり〇・三ないし〇・五パーセントとされている。

(3) 回復期

発症後一週間以降六ないし八週間がこれに相当すると考えられる。この時期には壊死に陥った心筋の修復が盛んに行われて線維組織にとって代わられるので、CRPや血沈値は異常を示すが、GOTやCPKなどの血清酵素値は正常に戻っている。自覚的な苦痛は既になく、患者は退屈なだけである。この時期にも時々狭心痛があったり、心不全が続いていたりしている例では一般に予後が良くない。また、この時期でも稀に心筋破裂が起きることがある。

2  心筋梗塞の一般的治療について

(一)  CCUでの治療について

右に述べたように心筋梗塞による死亡がその初期に集中し、しかも多くは緊急治療を要する不整脈の突発、ショック、急性左心不全によることに鑑み、主として循環機能のモニター装置及び心蘇生設備並びに特別に訓練された医師、看護層等のスタッフを常備しておき、危険の大きな冠動脈疾患患者を特定の場所に収容して高度の診療を行うことを目的として設けられた特別の病室のシステムがCCUである。CCUにおいて対応できる症状についても当初は不整脈に限られ、最近に至って心不全やショックに対しても機能を発揮できるようになったものである。

本件発生の昭和五〇年当時、CCUから一般病室への転室の基準は、一般に、(1)三日間以上胸痛がないこと、(2)三日間以上新たな心電図変化の発生ないし増悪を認めず、また、血清酵素活性の再上昇もないこと、(3)三日間以上心室性期外収縮、頻拍、房室又は洞房ブロックなどの不整脈が現れないこと(ただし、ごく稀に現れる心室性期外収縮の場合はこの限りでない。)、(4)心不全、ショック、心膜炎等の合併徴候がないかその著明な改善が認められることの四条件が満たされていることとされており、この基準は現在とほとんど変わらない。右基準により、CCUの収容期間は通常五日間くらいでよいとされているが、これはあくまでも原則であって、患者側及び施設の事情により多少の幅があり、結局は、個々の場合に責任者が可能な限り種々の要因を考慮して決定すべきであるとされている。

(二)  CCUからの転室後の治療について

右(一)で述べたとおりのCCUの発達によってCCU内での患者の一次的不整脈による死亡は激減したが、CCUからの転室後の一般病室又は退院後における突然死は完全には予防できない。

四  被告病院における茂の診療の適否について

二及び三において認定した事実並びに鑑定人加藤和三の鑑定の結果に基づき、以下、被告の病院での茂の診療における過誤の有無について検討する。

1  茂の心筋梗塞症の発症直後の診療について

昭和四九年一二月三一日夜に発症した茂の心筋梗塞症は、当初は後側壁の一部におけるものであったが、被告の病院へ入院してCCUに収容された後である昭和五〇年一月一日午後一時ころには前中隔壁の新たな虚血症状を併発して危険な状態になったが、担当医師の治療により同日夕刻ころには小康を得るに至ったもので、これにより発症直後の最も危険な段階を一応脱したものといえる。

2  CCUでの治療及びCCUからの転室措置について

右同日夕刻の小康状態から、CCUにおける治療及び看護の結果、茂の症状は順調に改善の方向に向かい、同月六日までの間に、同月二日以降は新たな胸痛の発生はなく、不整脈は同月二日から消失してキシロカイン注射を中止した後も再発せず、明らかな心不全徴候も一月四日以後は認められず、血圧は低かったがショック症状は見られず、心電図及び血清酵素活性の各検査の結果も後側壁の心筋梗塞並びに前中隔壁の虚血傷害が順調に快方へ向かっていること及び新たな病変のないことを示していたものであり、右によれば、同月六日の時点には、茂の心筋梗塞症は前記の急性期の末期かあるいは回復期に入っていたものということができ、入院及びCCUの入室から六日目を迎えた同日午後に至り、CCUにおける心筋梗塞症に対する集中的な治療及び監視をこれ以上は必要としないものと判断して茂をCCUから一般病室へ転室させた被告の病院の担当医師の措置は不相当ではなかったものというべく、この点において同担当医師に診療上の過誤はなかったものというべきである。

3  一般病室における治療全般について

右同日午後に一般病室へ転室した茂の心筋梗塞症の症状は、その後の治療及び看護により、同月七日、八日、九日及び一三日に行われた血清酵素活性値検査の結果では新たな梗塞の発生ないし拡大による再上昇を示すことなく減少を続けていること、右各同日に行われた心電図検査の結果では後側壁の梗塞の通常の治癒過程と前中隔壁の虚血傷害の回復を示す所見を示して心筋虚血傷害の増悪を示す変化は認められないこと並びその他の自覚的及び他覚的諸症状からして、同月一六日未明に急死するまでの間はほぼ順調に回復過程を辿っていたものということができる。

4  一般病室における治療期間中の心電図検査について

(一)  被告の病院の担当医師は茂が一般病室に転室した後、同月七日、八日、九日及び一三日に心電図検査を行い、一四日及び一五日には右検査を行っていないが、前記のとおり、心筋梗塞症の急性期を脱し、危険な状態を一応免れたものとしてCCUから一般病室に転室した茂に対して行った右のとおりの心電図検査の回数及び頻度は、同検査を含む諸検査及び他の諸症状から認められる茂の前記症状経過に照らし、直ちに不十分なものであったと断ずることはできない。また、同月一二日の昼間に認められた頸部の軽度の硬直感は急性心筋梗塞回復期の患者にまま見られる心臓とは無関係の不定の症状とも判断されるものであり、同日夕刻に認められた胸部の鈍重感とともに、心臓と全く無関係と断定はできないとしても心筋梗塞の前駆症状とされる激しい胸痛とは異なるものと認めうるものであるから(現に、翌一三日に行われた心電図検査の結果は同月九日の前回の同検査に比してより回復傾向を示している。)右両症状が認められた点を考えても担当医師の行った右心電図検査の回数及び頻度が不相当なものであったということはできない。

(二)  茂の一般病室における治療期間中に被告の病院の担当医師は労作負荷後の心電図検査を行っていないが、右期間中の茂の症状は、前記のとおり回復期にあったにせよ、未だ個室である病室内の歩行だけを許されていた段階であり、このような時期に労作負荷後の心電図検査を行わなかった担当医師の措置をもって不相当であるということはできない。

5  一般病室における治療期間中の監視体制について

(一)  被告の病院に当時テレメーターは設置されておらず、茂の一般病室での治療期間中にテレメーターの心電図検査による症状の監視は行われなかったが、右当時には一部の特殊な施設を除き一般病室にはテレメーターを設置していなかったという右当時の我国の一般的医療水準に照らし、右の被告の病院にテレメーターが設置されていなかったことをもって直ちに債務不履行又は不法行為を構成する診療上の過誤に当たると断ずることはできず、また、右の特殊な施設においても狭心症や不整脈の頻発が認められる特殊な場合に限り一般病室でテレメーターが使用されていたのであるから、茂の前記症状を前提にする限り、右のテレメーターによる監視を茂に施さなかったことは不相当なものであったと認めることはできない。なお、被告の病院内での茂の死亡を契機としてその後間もなく被告の病院の一般病室にテレメーターが設置されるようになったが(この事実は《証拠省略》により認められる。)、この事実をもってしても右に述べた理由に照らし、右認定を覆すに足りるものではない。

(二)  被告の病院における夜間の看護婦による巡回及び点検体制は、その巡視の間隔、担当患者数、勤務時間の長さなどの点において夜間の巡回及び点検体制として特段不相当であるとすべき点は認められず、また、前記の一般病室に収容されている間の茂の症状に照らし、右巡回及び点検を一般的な取扱よりも特に強化、充実すべき事情の認められない本件においては、この点についての被告の病院の措置を不当と認めることはできない。

6  一般病室における治療期間中の冠動脈造影検査について

被告の病院の担当医師は茂に対し冠動脈造影検査を行っていないが、右検査の方法、その危険性及び茂の当時の症状に照らし、右検査を行わなかったことは何ら不相当な措置ではなく、むしろ当然のことであったものと認められる。

7  茂が個室である一般病室に収容されたことなどについて

被告の病院において茂は個室の一般病室に収容され、また、被告の病院においてはいわゆる完全看護体制を採っていて夜間の家族等の付添が認められていないが、これらの措置はそれ自体不当とされる措置ではないうえ、右の個室に収容されることとなったのは原告花子等の希望によるものであったこと、茂の死亡した時刻が未明にあたり、かつ、その死因となった心筋梗塞症の再発又は致死的不整脈の発生が外部から予知又は認識できる状況ではなかったものと推測されるため、仮に茂が他の患者と同室し、あるいは、家族等が付き添って右病室内で就寝していたとしても、茂の死亡が回避できた可能性はほとんどなかったものと認められること及び茂の症状経過に徴すると、被告の病院の担当医師の右の措置を不相当とすることはできない。

8  結び

右1ないし7に述べたとおり、原告らの主張する被告の病院における診療上の過誤の主張はいずれも理由がないものというべきであり、本件における茂の死亡は前認定の茂の症状の経過及び心筋梗塞症の一般的病状に照らし、被告の病院の担当医師及び看護婦の予見可能性及び回避可能性を超えたものと認定せざるをえないものというべきであり、診療上の債務不履行責任を認めることはできない。

また、担当医師等の診療上の不法行為も認められないから、被告の民法七一五条一項の使用者責任も認めるに由なく、更に、被告の病院の管理運営上の過誤も認められないから、被告の民法七〇九条に基づく不法行為責任も認めることはできない。

五  結論

以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの債務不履行及び不法行為に基づく請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 三好達 裁判官 河野信夫 高橋徹)

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